山形県の鉱山

山形県の金属鉱山

県内の金属鉱物資源としては金・銀・銅・亜鉛・鉛・硫化鉄・鉄・マンガン・アンチモン・ビスマスなど多種類に及びます。主に採掘された金属資源は金・銀・銅・亜鉛・鉛であり、それ以外のものは少量産出した程度に過ぎません。上記の主要な金属資源の中で、銅が最も多く生産されました。昭和63年に閉山した八谷鉱山を最後に県内から金属鉱山は消滅しました。

永松鉱山

永松鉱山

八谷鉱山

八谷鉱山

金鉱山

県内の代表的な金山として、大張鉱山・小山鉱山・三永鉱山・八谷鉱山などが存在しました。いずれも金単独でなはく、銅や亜鉛などと共に採掘されました。また上流の金鉱山を起源とする砂金鉱床も県内の河床にいくつか存在しました。主要な砂金鉱床は立谷沢川上流や寒河江川上流に存在し、大正時代まで砂金採取が行われておりました。

銀鉱山

銀単独で採掘が行われた鉱山は延沢銀山および谷口銀山のみになります。両鉱山とも江戸時代に大いに栄え、特に延沢銀山は日本三大銀山に数えらましたが、明治以降は発展しませんでした。両銀山以外では、金鉱山または銅・鉛・亜鉛鉱山から副産物程度に生産されました。その例として、八谷鉱山・森鉱山・大泉鉱山・満沢鉱山などの鉱山がありました。

銅鉱山

県内の多くの金属鉱山は銅を採掘したものであり、代表的な鉱山として大泉鉱山・満沢鉱山・永松鉱山・大蔵鉱山・幸生鉱山・見立鉱山・高旭鉱山・赤山鉱山・吉野鉱山・二重坂鉱山などがありました。この中で永松鉱山は県内最大級の鉱山であり、江戸時代では日本三大銅山と言われました。また上記に列挙した鉱山も規模が比較的大きい鉱山でした。この他にも小規模な鉱山が無数に存在しました。

亜鉛・鉛鉱山

銅に次いで多くの鉱山から採掘されており、代表的な鉱山として大泉鉱山・日正鉱山・大堀鉱山・永松鉱山・三治鉱山・高旭鉱山・吉野鉱山・八谷鉱山などがありました。特に大泉鉱山および八谷鉱山は県内を代表する鉱山であり、相当量の亜鉛・鉛鉱石が採掘されました。

鉄鉱山

県内の鉄鉱床はいずれも火山地帯の褐鉄鉱鉱床であり、滑川鉱山ほか数ヶ所で採掘が行われました。滑川鉱山は県内最大の鉄鉱山で、東北地方では釜石鉱山に次いで第2位~4位の生産量がありました。それ以外は全て小規模の鉱山で、産出量も僅かでした。

その他の金属鉱山

マンガン・モリブデン・ビスマスなどの金属は一部の鉱山から採掘された程度に過ぎませんでした。マンガンは大泉鉱山と森鉱山から採掘されました。モリブデンは福栄邨鉱山や念球ヶ関鉱山などから戦時中に採掘されました。ビスマスは大張鉱山で採掘され、国内でも珍しいビスマスの鉱山でした。

山形県の非金属鉱山

県内の非金属鉱物資源としては硫黄・石膏・重晶石・陶石・白土・ベントナイト・珪砂・長石・ゼオライトなど様々な資源があります。今現在も水沢鉱山 (白土)、大石田鉱山(珪砂)、ワラ口鉱山(珪砂)、月布鉱山(ベントナイト)、板谷鉱山 (ゼオライト)が操業中です。これらの鉱山以外は全て廃止されております。

大石田鉱山

大石田鉱山

月布鉱山

月布鉱山

硫黄鉱山

県内で規模が最も大きい非金属鉱山は蔵王および西吾妻の硫黄鉱山でした。両鉱山とも製錬所を有する大規模な鉱山であり、東北地方においても有数の硫黄鉱山でした。エネルギー革命の影響により、両鉱山ともに昭和30年代後半に廃止されました。

石膏鉱山

県内の黒鉱鉱床には石膏を主体とする鉱山がありました。 石膏鉱山は県内各地にありましたが、最大の羽前小国鉱山を除くといずれも小規模で長続きせず廃山となりました。羽前小国鉱山は県内で最も遅くまで石膏が採掘されましたが、今では廃止されております。

珪砂鉱山

県内に代表的な珪砂鉱山としてワラ口鉱山、大石田鉱山、飯豊鉱山の三鉱山が知られております。ワラ口鉱山および大石田鉱山では今も露天掘りにて珪砂が採掘されております。飯豊鉱山も令和元年まで稼行されておりましたが、今では廃止されました。

ベントナイト鉱山

ベントナイトは月布鉱山にて県内唯一の坑内掘りで採掘が行われております。また国内最大級のベントナイト鉱山です。月布鉱山以外にもベントナイト鉱山はいくつかありましたが、いずれも規模が小さく、昭和時代に廃山となっております。

陶石鉱山

県内にはかつて陶石鉱山が数多く存在しました。板谷鉱山および大峠鉱山は全国有数の規模を示し、カオリナイトを主体とする鉱石が平成の中頃まで採掘が行われておりました。両鉱山以外はいずれも規模が小さく、昭和の時代に全て廃山となっております。

ゼオライト鉱山

本県においてゼオライト鉱床は一部に限られますが、板谷鉱山ではモルデン沸石と斜プチロル沸石を主体とするゼオライト鉱石が今も現役で採掘されております。

山形県の地質と鉱床

鉱山の分布やその資源の種類は、その土地の地質状況に強く影響されます。県内の地質は大きく分けて、中生代~古第三紀の基盤岩、新第三紀の火山岩・堆積岩類、第四紀の火山岩・堆積物の3つのタイプから構成されております。いずれも金属・非金属鉱山が伴われますが、資源の種類や鉱床のタイプが異なります。県内の金属・非金属鉱床の大半が新第三期の火成作用または続成作用により形成されたため、新第三紀の地質に多くの鉱山が分布しております。

中生代~古第三紀の鉱床

県土の土台を形成する基盤岩のほとんどが中生代~古第三紀の花崗岩を中心とした深成岩からなります。花崗岩は主に朝日・飯豊山地に広く分布しているほか、奥羽山脈の一部に存在します。深成岩以外の基盤岩として片麻岩などの変成岩、ジュラ紀の堆積岩などがありますが、これらの分布はごく一部に限られます。花崗岩地帯には銅やモリブデン、ビスマスなどの金属鉱床が分布します。これらの鉱床は花崗岩の貫入に伴う中~高温の熱水活動により形成されました。

新第三紀の鉱床

新第三紀の地質は県土の大半を占めております。流紋岩・安山岩・玄武岩などの火山岩、凝灰岩などの火砕岩、泥岩・砂岩・礫岩などの堆積岩から構成されます。これらの地質は中新世から鮮新世にかけて形成されました。新第三紀の地質が広がる地域には金・銀・銅・鉛・亜鉛などの金属鉱床や石膏・重晶石・陶石・耐火粘土などの非金属鉱床が数多く存在します。これらの鉱床は新第三紀の火成活動に伴う低~中温の熱水作用により形成されました。

第四紀の鉱床

第四紀の地質は庄内平野や新庄・村山・置賜盆地を埋める堆積物と第四紀火山活動で形成された火山岩や火砕岩から構成されます。鉱山は第四紀火山地帯に限られます。鳥海山・月山・蔵王山・西吾妻山などの火山地帯には褐鉄鉱鉱床や硫黄鉱床があります。これらの鉱床は火山活動に伴うガスや熱水から形成されました。

山形県の鉱山史

本県における鉱山業の歴史は古く、今から約900年前の平安時代末期から始まりました。金属鉱山は昭和63年に姿を消しましたが、非金属鉱山は令和に至る現在まで続いております。昔から続く山形県の鉱山の歴史について紹介します。

平安時代~戦国時代

平安時代末期の1142年に神明金山が開発されたのが最古になります。また谷口銀山などの古い鉱山は奥州藤原氏が栄えた時代に金売り吉次が開発した伝説もありますが、平安時代~鎌倉時代にかけての鉱山史料はほとほんど残っておりません。室町時代から戦国時代にかけて伊達氏により領内の金鉱の採掘が行われました。戦国時代末期には延沢銀山で盛んに銀鉱が採掘されました。

江戸時代

江戸時代の鉱山は県内各地の藩または幕府により採掘が行われ、財政を潤したと伝えられております。当時に栄えた鉱山は谷口銀山・永松銅山・延沢銀山・幸生銅山などがあります。寛永年間は谷口銀山や延沢銀山をはじめ各地の金銀鉱山が繁栄しました。中でも延沢銀山が最盛期を迎え、日本三大銀山に数えられました。永松銅山は江戸時代初期に開発され、中期の元禄年間には国内第三位の銅山として繁栄しておりました。幸生銅山は江戸時代中期に発見され、繁栄と衰退を繰り返しながら採掘されました。

明治時代~大正時代

明治維新以降、西洋諸国からの近代技術が導入されて本県を含めて全国的に鉱山業が急速に発展していきました。大手の鉱山会社が経営する永松鉱山・大泉鉱山などでは近代製錬所や削岩機が導入され、鉱石の生産量が飛躍的に増大しました。大正時代に入ると第一次世界大戦の好景気により、県内各地の鉱山が大いに繁栄しました。中でも特に大泉鉱山・大蔵鉱山・永松鉱山・吉野鉱山が隆盛を極めました。大戦後は不況により鉱山業全体が縮小し、県内においても休山に追い込まれる鉱山が相次いぎました。

昭和時代 (戦前~戦時中)

昭和初期は世界恐慌による不況で鉱山業自体も不活発な状態でしたが、満州事変や日清事変の勃発と共に活況を取り戻しました。本県においても大蔵鉱山などの休止鉱山が再開しました。次第に戦時体制となり、銅や鉛などの軍需資源となる鉱物で国策により強制的に採掘されました。太平洋戦争中には本県では100を超える鉱山が稼行されました。かつてないほど栄えましたが、乱掘が強行されたたため、終戦と同時にほとんどの鉱山が休山しました。

昭和時代 (戦後)

戦後間もない頃は細々と稼行されておりましたが、朝鮮戦争を契機として県内における鉱山業が再興しました。各地の鉱山に選鉱場が設置され、生産量も飛躍的に増大しました。昭和30年代中頃までピークを迎えましたが、貿易自由化や鉱量の枯渇などが打撃となり、30年代後半から40年代前半にかけて一気に廃山となりました。昭和50年代に入ると、金属鉱山は大泉鉱山・小山鉱山・八谷鉱山の3鉱山までに減少しました。昭和63年には最後に残った八谷鉱山も廃止されました。平成に移行する前に本県の金属鉱山は消滅しました。

平成時代以降

平成時代は非金属鉱山のみの稼行になりました。当初は7鉱山が操業しておりましたが、平成7年に板谷鉱山のカオリン鉱床が採掘終了し、ゼオライトのみになりました。平成12年には大峠鉱山が閉山しました。令和元年には飯豊鉱山も閉山となりましたが、令和3年現在も水沢鉱山・大石田鉱山・ワラ口鉱山・月布鉱山・板谷鉱山の5鉱山が操業しております。